人生100年時代を幸せに生きよう! ライフコーチ&カウンセラーの徒然日記

ライフコーチ&カウンせラーの現場から人生100年の人生の生き方、生きがい、対応力、不安、悩みについて情報をお伝えします。

コロナ禍で考えたこと

こんにちは。髙畑吉宏です。

本日は前の続編としてまとめています。

 

1.コロナ禍の中で考えてしまったこと

 

コロナ禍で国は「私たち国民の生命と暮らしを守る」といいます。

このコロナ禍で、雇止め、派遣切り、リストラ、事業不振・倒産、失業、不安・ストレスの増幅に苛まれている人たちが確実に増えてきています。

「行くも地獄、去るも地獄」で呻吟されている方もいらっしゃいます。

 

これを、わが国の日本国憲法第25条の「 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」の観点から具体的に考えてみたいと思います。

 

むずかしく考えないでくださいね。

 

常々、思うのですが、「健康で文化的な最低限度の生活とは?」がしばしば気になるのです。

ただの最低限度ではなく、文化的という形容詞が加わっています。

 

今のリタイア後の年金生活者の実態からみれば、確実に2極化が進んでいます。

歴史を遡れば、国民皆年金制度に端を発していることがみえてきます。

当時は「国家100年の計画」として定められ、諸外国からも評価されました。

また当時は、人生60年時代で、勤めビトの定年も60歳までであり、その後は余生と位置付けられていました。

 

第1産業に従事していた方も多く、農林・漁業、加えて個人商店主は、国民年金に加入し、その仕組みは、今も続いています。

 

この人たちが受け取ることのできる年金額は、ざっくりとして言えば、せいぜい6万円台弱程度です(「国民年金基金加入者を除く」)。

しかも、今現在、国民年金を支える現役側の加入者は、50%に満たないのです。

 

これで、将来はどうなるのか、不安になったり、気になったりするのは私だけでないと思うのです。

 

事実、私の知人・友人で、元個人事業主で、夫婦合わせて約11万円台で生活している人が居るのです。

 

では、実際のところ、生活を切り詰め、文化的最低限度の月々の生活費は、果たしていくらなの?

─と思われる人が少なからず、いらっしゃるでしょう。

 

結論を急がせないでくださいね。

 

プロセスも大事ですから……。

 

上記の先輩とも、よく相談でお話するテーマでもあります。

 

その前に、2極化のエリート(?)年金生活者は、主人も、奥様も共稼ぎで、企業・団体(=共済組合、公務員)で、コツコツと働き、定年を迎えたような方々です。

このような方々の年金額は、およそ50万円前後の計算になります。

 

すでにお分かりのように、国民年金だけの支給額とは大差です。

 

さて話を戻します。

 

私のカウセリング相談事例(といっても、ファイナンシャルなことは専門外です)から言えば、

まずは最低限度の生活+文化的生活

の図式から言えば、生活権の確保+αとなります。

この+αの部分が文化的生活の部分です

 

このαに、趣味、読書、ライフワーク、サークル活動、社会活動、仲間との交流といったものを加味しなくては、文化性が生まれません。

 

 分かりやすくして話を進めます。

 

これらを保つためには、最低でも月々、13万円(個人差、個人の属性の一切を除いた一般論で、恐縮…)は、最低でも必要ではないでしょうか?

 

そのために国は生活保護手当等をセーフティーネットとして制度を用意してはいますが、私たちにとって、使い勝手が良いとはお世辞にも言えません。

 

2.コロナ禍であっても生活の質を落とせないで居る人の例

 

この方をYさんと呼ぶことにします。

Yさんは、今、地方移住して生活されています。

街にコンビニの1つもない、とある関西の過疎の小さな村です。

 

チャリンコで10分間圏内にコンビニの7,8件は存在するわが家とは大変な違い。

 

夜は街灯もなく、真っ暗闇になり、昼間は小鳥のさえずりが聞こえてくる自然がとても豊かな環境です。

コロナ禍の生活は、以前とさほど変わりがないと言っていました。

 

そして彼の家族は、農業に従事しています。

日々の食費は、あまりかからない、とのこと。

その理由は、誰かが、そっと取れたての野菜を置いてくれるらしい。

 

今、私の住んでいる、埼玉都民(?)とは大違い。

 

つながりのあるコミュニティを求めて地方移住すればいいのかというとそうでもないのです。

 

私も、かつて瀬戸内海のとある島に「移住体験」を1週間したこともありました。

その島のある市は「移住促進」の制度がありました。

 

さて話を戻しますと、

 

過疎地域には、過疎地としての課題を抱えていて、限界集落化していて、家々が孤立化しているのです。

その現実はよく把握しているつもりです。

 

どうやら、つながりのある地域と、そうでない地域に分かれるようです。

 

3.つながりを求めて

 

これから文化的要素を加えると、生きる上で“つながり”は欠かせません。

 

社会制度的にみると、ハード面では、セーフティネットが構築されてはいるにしても、どこに相談したらよいかわからないのも現実。

たとえば、行政機関へ家庭内暴力、いじめ、生活支援の相談に行く場合に、一人では立ち向かえないケースが多々あります。

 

そこで寄り添ってくれるのが、NPO法人を始めとする各種相談機関なのです。

たとえば、一夜の駆け込みの宿が欲しい場合、それらの法人がケアしてくださることがあります。

 

そこで私は、考えてみました。

いったい、誰がそれらの経費を支払っているのだろうか?と。

それら法人の代表者のポケットマネーではありません。

すべて寄付行為のようです。

 

このように私たちは、どこかで、誰かとつながり、助けられてもいるのです。

 

少し、ホッとしませんか?

 

それらには各種ありますけれど、以下の「自殺対策等」で活動されている清水さんの活動も、その一つです。

https://www.lifelink.or.jp/index.html

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。