幸せライフづくりのために心から話し合える親友を持とう!
こんにちは。高畑吉宏です。
前稿までメンターについて語ってきましたので、今回は、私の友人の過去物語について語ってみたいと思います。
そして親の友・友人という存在は、必ずしも“心友”にはならないことを述べ、心友を持つことで、私たちの人生を豊かにしていくのではないかというテーマで、本稿をまとめたいと思います。
私は小中学校までは友人が多い方でした。このため、
児童会長や生徒会長にも選ばれました。
社交的な性格は父譲りの賜物と感謝しています。
若き日の、それぞれの時の友人は、永遠に続くかのように
錯覚してしまうもののようです。
私もその一人です。
それは、それで意味があったのです。それが青春と言えるのでしょう。
小中学生の頃は、約5.5キロも一緒に通った松本保君と
おしゃべりしながら、通ったことが思い浮かびます。
松本保君と私は、性格も得意科目も全く違っていました。が、今、お会いしても、胸襟を開いて話ができると確信しています。
街に本屋もなく、テレビもなく学校に図書館もない当時‥‥テレビはやがて普及。
人格形成の対象は家族と地域での遊び友達との交流や大自然か、学校での先生と生徒間の人間関係が唯一のものでした。
中学時代での親友は、武山強君でした。
武山君は、秀才でわが街を超えて、県北でも名を連ねる成績を誇った一人でした。
しかし、経済的理由で彼は、大学進学はできませんでした。
やがて、武山君はクラス会の名簿から消え、亡くなったと
風の便りで知りました。
高校時代は、これといった友人はいませんでした。
が、水村昭君とは、気が合い、お互いの家に泊まったりして、親交を深めた記憶があります。
大学生の頃、彼のアパートを訪ね、自堕落な生活を見て人生の目的の違いを感じて、自然と遠のいてしまいました。
大学時代はなかなか友人ができず、辛かった思い出があります。
この私の孤独感を癒してくれ、出来た友人が、山田正君(仮名)と佐山健吾君(仮名)です。
山田正君は、文学に通じている風、とても勤勉家で、私と気が合い、私のアパートに寝泊まりもしていました。
彼は、司法試験を目指しましたが、挫折しました。
大学を卒業し、やがて気付いたのですが、とても虚勢を張る人物であることに気が付きました。
佐山君とは、まったく別の男性で同クラスの西村聡君(仮名)が大学4年生の頃、作家としてデビューし、今では大作家です。
さて佐山健吾君とは、彼が司法試験に合格したことと、私が別の大学院に進むことが出来たため、二人で4泊5日間の九州旅行に出かけました。
その際に出合った女性が彼の妻となりました。
佐山君は、彼の人間力もあったようで、法曹界のトップにまで昇進しましたが、任期中に、ガンで倒れ、死去しました。
しばらく私は、寂しさから逃れることは、出来ませんでした。
本当の心友を亡くすことは、辛いものだとつくづく感じました。
仕事関係で親しくしたのは、取引先のマネジャーの市村啓次郎(仮名)さんです。
市村さんは、私と会食することを、とても楽しみにしていたようで、社内でも、知れ渡っていました。
事務所を埼玉に移転した後も、月に3,4回は彼と会食していました。
が、やがて彼が定年となった後は、プツリと連絡が途切れました……。
これらのことは、多くのリタイアした方々が経験されていることではないでしょうか。
私自身、シニア世代ですので、私を慕ってくれる後輩(女性がなぜか多い?)も居ますが、彼(女)は、私にとっては、メンター的存在ではありません。
メンターは仲間とも違います。
知人・友人とメンター(心的指導者=メンター)とは分けてとらえなけれはなりません。
教育者が生徒に人生相談することは基本的にありません。
教育者は、生徒の相談相手になるべき存在です。
現在のシニアの方々に取っては、話し相手が居ないとう
孤独感があります。
※今日のNHKのニュースでは、神奈川県の某市役所では、市役所の担当者が、「言いたい放題」の相手になってくれるとか‥‥。」
さて、
メンターは、その先に存在します。
これからメンターを構築していく場合、性別、年齢等に関係はありません。
ひょとしたら、あなたの妻(夫)がメンターかかも知れませんね。
友人・知人の段階ではなく、心友・メンターというべき人を創っていきましょう。
そのことで私たちの人生はイキイキとし、佳き幸せライフを築けることが出来るでしょう!
最後までお読み頂き、ありがとうございました