シニア世代のホリスティックライフプラン ─聞き上手になろう! ─
こんにちは。
今朝はどんよりとした朝。午後は雨天の予報です。
本稿では聞く」と「聴くこと」の違いを述べてみたいと思います。
以前、少し触れたと思いますが、単独テーマとして述べてみたいと思います。
聞くは英語では「hear」と表記され、聴くは「listen」と表記されます。
シニア層の方々には、「聞き上手」になって欲しいと思っています。
まず第1に──、
聞き上手な人は、相手の話に受容的です。
そして「間」がうまく取れています。
それに対して「聞き下手」の人は、
解釈的、自己判断的、審判的、評価的態度等の聞き方スタイルで聞きます。
これらの人は、相手の話を聞く際、聞いて(hear)していますが、聞いているだけで、本当に耳を傾けて聴いて「listen to」はいません。
聞いている際、次に自分が何を言うかを考えながら、聞いているのです。
解釈的、自己判断的、審判的、評価的態度で聞いている人に、私が求めているのは、私は、今はあなたの解釈、判断、審判、評価はいないのですと‥‥‥。
ある心理学の権威は、協会の代表者でしたが、副代表的な大学教授と議論になりました。私は幹部として同席していました。
その場に居合わせたのは、4名くらいでした。
話の展開は、副代表的な立場の人が代表者を追い詰める形です。
執拗でした。
そして代表者はいいました。
「これ言い以上話すのは、やめよう、ゲームになるから」と‥‥。
心理学では、生産的でない、不快な会話を続けることを(心理)ゲームと呼びます。
受容的に聴ける人は、その人の生まれ持った性質である人も多いです。
本人は気付いていないかもしれませんが、基本的に優しい人です。
したがって、「間」も自然に取れます。
彼らの苦手な人は、解釈的、自己判断的、審判的、評価的態度で(接して)臨んでくる人たちです。
相手の人に、解釈、判断、審判、評価を求める場合は別ですが……。
私の実父は、学歴・地位や名誉があるわけでもなく、ごくごく普通の人でした。
でも心優しい人でした。
すでに他界していますが、そのような父が私は大好きでした。言ってみれば、人に対して受容的な態度で接していたのです。
場持ちも出来る父でした。
父亡き後の母は、精神的に「与える人」になりました。
耳は不自由だけど、私に「何もしてやれなったと」絶えず繰り返す日々です。感謝!
「間」というのは、微妙です。
人は往々にして「沈黙」を恐れるからです。
相手と会話のペースを合わせることをペーシング(本当はもっと広義に使います)とコーチングでは言います。
シニア世代に達した私は、今のヤング層や若い主婦層にどれだけ、ペーシングできるかは、自信はありませんが、ただ娘とは自然体で会話が取れてはいます。
スピリチュアル、精神世界やホリスティックなことを別とすれば……。