人生100年時代を幸せに生きよう! ライフコーチ&カウンセラーの徒然日記

ライフコーチ&カウンせラーの現場から人生100年の人生の生き方、生きがい、対応力、不安、悩みについて情報をお伝えします。

ホリスティックライフプラン ─謙虚な人たちの想い出─

こんにちは。

朝夕が幾分過ごしやすいようですが、

予報では酷暑はまだ続くとのこと。

高畑吉宏です。

 

私には今でもお付き合いのある忘れがたい

2人の人がいます。

その一人は東秀雄(仮名)ともう1人は関陽子(仮名)さんです。

 

まず関陽子さんから、

 

関さんと知り合ったのは私のサラリーマン時代の勤務先です

パートタームのおばさんだったのです。。

彼女は年齢も一回り上でもあり、女性でもあり、

同部署とはいえ、他の部門のデータ入力のお仕事でしたので、

あいさつ程度の関わりでした。

 

やがて私が独立した折、最初は、当然,売り上げもなく、

経費を切り詰めるため、新宿区内の某ボロアパート

の2階に仮オフィスを借りました。

 

会社の先行きの見えない最中です。

 

関さんは月曜から金曜まで、毎日かいがいしく

通ってくれました。

 

以前の職場も彼女は、パートタイマーでしたので、

ごく普通の主婦さんと理解していたのです。

 

ある日、私は聞きました。

 

「ご主人は何時ごろ、お家を出かけられるのですか?」

彼女曰く。

「車が(マンションの)下に来るので、8時頃かしら……」

(はあぁん、同僚が車で迎えに来てくれて一緒に会社に車で行くんだ)

と私は認識しました。

 

やがて分かったことは、

 

関さんのご主人は大手物流会社の専務取締役

だったのです。

 

運転手付きの大幹部なのでした。

 

やがてご主人が毎日、毎日ボロアパートに通っていることが分かり、

ご主人は、

「俺の給料じゃあ、やっていけないのか?」

と問い詰められたとのこと。

 

その後も関さんとは長いお付き合いになり、

ご一緒にレイキを学び、ヒーラーとして、

宮崎や広島までご一緒したこともありました。

 

今ではメンターのお一人です。

 

もう一人の東秀雄さんは国家公務員で、

霞が関が仕事の勤務先でした。

東さんとの最初出会いは、たしか私の主宰する勉強会でした。

東さんの出会いにより、

中央官庁のお仕事も幾つかさせて頂きました。

東さんは議員会館で食事をする際にも、食堂の女性陣にも声を掛け、

「おばちゃん。おいしかったよ」言うのです。

すると

「今後、食材○○が入るから楽しみにねと」応答します。

気配り名人でした。

 

東さんの勉強会に講師で招かれたとき、早く着いたので、

楽屋に待機していると、スタッフのヒソヒソ声が聞こえてきます。

「○○をしておかないと東さんに怒られちゃうよ」

「△△は大丈夫? 東さんが来るまで、用意しておかないと」

 

ともかく東さんの固有名詞が飛び交うのです。

 

やがて、決定的なことが起きました。

 

東さんとアポイントを取り、予約した時間に向かいました。

 

受付での会話です。

「本日、ご予約しております。株式会社〇〇〇〇の

高畑吉宏と申します。東さんにお取次ぎください。」

 

「館長ですか?」

「いいえ、違います。東さんです。」と私。

「館長ですね!」

「……?」

 

やがて東さんが現われて来ました。

入館した後、

「東ちゃん。館長になったんだ」

「館長になったら、そういってくれればいいのに」と私。

 

私の学歴、実績等は、一切知られているのに、

東さんの学歴は未だ知らないまま、

勉強家の東さんとは友人同士として

お互い良きお付き合いしております。