人生100年時代を幸せに生きよう! ライフコーチ&カウンセラーの徒然日記

ライフコーチ&カウンせラーの現場から人生100年の人生の生き方、生きがい、対応力、不安、悩みについて情報をお伝えします。

シニア世代&準シニア世代ためのホリスティックライフプラン  

時間の意味について

 

 

こんにちは。

涼しくなりましたね。

下着姿で寝ていましがた、昨夜は薄着のパジャマをまといました。

高畑吉宏です。

 

以前にも少し触れましたが、本稿では時間の意味について

シェア出来たら、と思います。

 

ひょっとしたら話題が標題から外れてしまうかも知れません。

 

復習から入りますが、時間は通常、物理時間とてとらえられます。

秒、分、時がそうです。

この物理的時間をつい忘れてしまう時があります。

その1つは何かに"没頭”してしまう時です。

 

どなたも経験があると思いますが、電車で読書に夢中になった時、

降車駅を通り過ぎてしまうことがあります。

 

また以前、

オフィスのパソコンの配線か何かでエンジニアを呼んだ時、

「どれくらいかかりますか?」と聞いたら、

「30分程度ですかね」と技術者たちの答え。

1時間経っても終わらないので、再度聞きました。

「あと、30分ですね」との返答。

結局、3時間近く掛かりました。

 

これは別な意味で問題ですが、技術者たちは、

“没頭”していたことには間違いありません。

 

何かに没頭(夢中)になっている間は時間の感覚がなくなって

しまっているのです。

このような時間を私は意味的時間と呼んでいます

(哲学者の言う意味的時間とは異なるか.も知れません)。

 心理学では

私たちにとって本当の意義ある時間は親交の時間と“定義”しています。

親交の対象は、ヒト、動物(ペット)、自然(身近な自然から宇宙を含む)でしょう。

ここではヒトに限ってのお話に限定します。

シニア世代の方々は、ヒトとのふれあいの時間が日常生活に

多くありました。

 

たとえば、

八百屋さんは、

「いらしゃい! いらしゃい! 奥さん、今日はいいお野菜が

入っていますよ」という元気な掛け声がありました。

豆腐屋さんも然りです。

魚屋さんも然りです。

 

私の学生時代のアパート生活は、同階の入居者は必ず皆に声を掛け

深い友人関係に発展していた場合もあります。

今も付き合っている友人もいます。

 

また、お風呂屋さんも、必ずと言っていいほど、徒歩圏にありました。

そのお風呂屋さんが休みの時は、少し離れたお風呂屋さんに行けば

よかったのです。

 

ところがいつしか、このような八百屋さんの掛け声がうざったい

と言う人たちが現われました。

 

そうなると、もはや「さざえさん」や「男はつらいよ」に

見られるドタバタ劇は成り立ちえません。

 

また、私のボロアパートに止まりに来た友人とは、世を徹し、

明るみが差す前に、

「おい、ボツボツ寝ようや」と言ったものです。

 

こうした時間の過ごし方が次第に消え失せてきました。

個人商店主のお肉屋さん、八百屋さん、お豆腐屋さん、お肉屋さん、

電気屋さん、定食屋さん、自転車屋さんがなくなりました。

 

また“奥さん!”と呼ばれる対象も減りました。

 

産業社会は、大量生産―大量伝達―大量消費―大量販売となり、

個人商店は成り立たなくなったのです。

 

そしてチェーン展開する大量販売店とショッピングモールが

私たちに身の周りにあるもっとも便利なお店となりました。

 

かくしてヒトとヒトとの会話をしなくても済む世界となってきたのです。

 

むろん、スーパーでは教育訓練された販売員が声はかけてくれます。

しかし、それは、あなたという個客ではなく、顧客一般として

のあなたに過ぎません。

 

このような時代は、さらにデジタルネイティブの世代が増えるに

従って、徐々に加速化されるでしょうし、

現に今、私たちシニア世代自身のの意識とその行動にも生じている

現象です

 

よって

私たちシニア世代及び準シニア世代は、自分の時間を構造化させ、

個立してゆく中で“意味ある時間”を、いかに持つかを真剣に

考えなければならない時代に生きているのだと思うのです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。