人生100年時代を幸せに生きよう! ライフコーチ&カウンセラーの徒然日記

ライフコーチ&カウンせラーの現場から人生100年の人生の生き方、生きがい、対応力、不安、悩みについて情報をお伝えします。

巣ごもり生活の暮らし方のヒント

こんにちは。髙畑吉宏です。

 

巣ごもり生活の暮らし方。 

本日はこのテーマでお話したいと思います。

 

1.現況

 

思い浮かべると、私たち日本人がウィズコロナの生活を余儀なくされ、もはや1年以上にもなっています。

この間で普及した生活スタイルは、

  • テレワークや在宅ワークでの仕事
  • ZOOM等のオンラインの導入と普及
  • マスク生活の常態化
  • 3密の回避
  • 清潔(うがい、手洗い、洗浄等)生活の習慣化・日常化

反対に増えた要因としては─

個人の自由時間や家族と過ごす時間ではないでしょうか?

長い目で観ると、それは昭和の時代に遡ります。

 

それは、まず土曜日の半ドンに始まり、やがて週に2回の土曜日出勤体制になり、やがて完全週休が定着化しました。

さらに祝日法の改正により、私たちは、まとまった時間の自由裁量は、かつてないほど増えてきています。

 

場合によっては、ウィズコロナ禍にあって、通勤時間もなくなって、さらに自由時間は増えてきている方も多いはず…。

 

3.巣ごもり生活の暮らし方、愉しみ方

 

私自身、正直なところ、巣ごもり生活の不自由は、アウトドア派ではないため、さほど強くは感じていません。※社会生活のマナーとエチケット(心得)を除いて…。

 

なぜかと言えば、

  • すでに数年前からオフィスを都内から地元に移転していたこと。
  • 数年前から夜間にわたるミーティングは、してこなかったこと。

 

以上の2点に尽きます。

 

これにより今は日々極めて規則正しい生活の日々です。

かといって暇なのでなく、忙しい日々を過ごしています。(汗)

 

ただ多くのリタイア後のシニア族の方々が、そうであるように、週単位(ウィークディと土日)の流れが、職と住の統一化によって無感覚になりやすいのも事実。

 

リタイア生活の先輩に聞いたところ

ゴミの収集曜日と孫の塾への送迎で週の流れを認識しているとのこと。

 

4.理想はワークアズライフなのかも…

 

「ワークアズライフ」とは、仕事とプライベートを分けず、すべてが仕事であり、かつ趣味だとする考え方で、その提唱者は、落合陽一氏。

 

今世での3つの自由とは、「お金からの自由」、「時間の自由」。

「こころの自由」を考えると、ワークアズライフは、理想の姿なのでしょう。

 

ところが、

私たち凡人には、この3つは、多くの場合、葛藤、矛盾・背反として相対立してしまいます。

 

たとえば、お金からの自由を得るためには、給与や報酬を確保するため、時間を費やし、ついつい残業をしたり、上司や同僚等の人間関係維持したりするため、時間を費やしたり、神経を消耗ことになります。

 

それが昂じてストレスにもなって、こころの自由度は減じてきます。

 

たとえ、仕事は生活の手段だと割り切っても、世間は、それほど甘くありません。

 

私も以前、研究室に在室の時代に、生活費を得るため、塾経営に従事したことがありました。

当時の自分への問い掛けとしては、

「いったい、俺は何のために塾経営をしているのか?」とよく自問自答したものでした。

 

このように、手段が目的化してくる場合も、出てきます。

 

「手段の目的化」が起きないためには、絶えず自分の人生の意味を問う姿勢が求められるのでしょう。

 

幸いなことに、その時間は多くの人にとって与えられています。

ことに人生後半期に入ったシニア層にとっては…。

 

5.ワークアズライフとは?

 

そもそも作家やアーティストにとって、ここからが仕事、ここからがプライベートという時間区分と自己設定がないのです。

 

ある作家は、「スペイン旅行」によく出かけていました。

しかも、1回の滞在期間は、約3か月。

担当記者が

「取材旅行ですか?」と訊ねると

「……」とその作家。

ペンも取材ノートも一切、携えていないのです。

かといって、その作家の質と量は並々ならぬ実績があります。

この一例から学べることは、

  • 趣味をライフホビィにすること。
  • ライフワークを持つこと

 

上記①について言えば、

多趣味な人にとっては、選択肢が広がりますね。

上記②について言えば、

絶えず苦闘しながら自己への問いかけ以外に、ハウツー的なことは考えにくいです。正直!

 

6.コロナ禍のライフスタイルの弱点

 

今、自由時間が増えても、場面ごとの切り替えが上手くいかない場面が増えております。

 

一言で言えば時間の平板化でしょうか?

 

たとえば、サラリーマンの方が、電車通勤する場合、夕刻の乗車時間から自宅に到着する間に、気分・感情を仕事モードを切り替え、プライベートモードにすることができて、

「ただいま!」と、から元気でも声を掛けることができました。

 

朝の通勤時間も、同様です。気分・感情の流れが逆になるだけです。

 

普段より仕事でストレスを受けたり、感じていたりした際には、同僚や仲間を誘って居酒屋で痛飲し、語り合い、ストレスを発散することもできました。

 

その居場所として、居酒屋、バー、各種スナック、異性を対象にした風俗店やカラオケ店、職場付近には数多く存在し、その受け皿になっていました。

 

その選択肢は数知れず。

 

私も、かつては、同僚や後輩たちと飲み明かして、終電に間に合わっなかたのも数知れず。

 

このような感情のリセットがなされないまま、帰宅すると、職場のストレスを家庭に持ち込みやすいのです。

 

良妻賢母型の妻であってさえ、妻には妻のストレスがあり、待ち受けていた夫の帰りに、その感情を吐露したい立場、身であることもあります。

 

この点をどうするかが今、課題となってきているのです。

 

では、また次稿で!!

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。