現在は生きづらい世の中なのか
こんにちは。
高畑吉宏です。
今回はこのテーマでシェアしたいと思います。
確かに「頑張れば報われる時代」があったように思います。象徴的に言えば、わが国が「高度経済成長期」がピークではなかったでしょうか?
それまでは、勤めビトは、終身雇用制、昇進、昇給、出世に浴していることができました。
当然、競争社会でもあったのですが…。
昭和20~30年代頃まででしょうか?
子ども達は、遊びはといえば、鬼ごっこ、メンコ、ビー玉、チャンバラ、ベーゴマ、縄跳び、あやとり、陣取り等に日暮れまで夢中になり、遊び呆けていました。
これらにより、地域での友人、仲間との関係づくりを培っていました。
今の時代、公園、神社、広場で遊んでいる子は見かけません。ただ、ブランコが、風にそそられて、孤独に(?)ゆらゆら揺れている寂寥感さえあります。
昭和時代の家族形成は、大家族も多く、家庭内で兄弟(姉妹)の喧嘩もよくしたものでしたし、おじいちゃん子、おばあちゃん子もいました。
こうした中で、今で言う「社会人基礎力」を自然に身に付けていたとも言えそうです。
今は子ども自身が「悩む力・悩み力」が低下したという識者もいます。
「悩み力」の低下です。
端的に言えば「キレたり」、「ムカつく」子どもが増えているもの事実。
またお父さんは、会社でのストレスを発散させる、雀荘、飲み屋、スナック、バー、カラオケ屋さん、パチンコ店等が職場付近にたくさんありました。
※往時には接待費で計上でき、これらを盛況にしました。
自分の小遣いの範囲で行くことの出来るところです。ここで負のストレスを発散し、気持ちをリセットし、家での私生活への切り替えをしたものでした。
今現在、コロナ禍でこのようなことも到底、出来ません。
また今の状況下では、仕事上の悩みがあっても、気軽に相談できる上司や同僚も得がたいようです。
このコミュニケーション不足がストレスになっている現実があります。
その一方では、私たち日本人には、「言挙げせず」を美徳とした文化で育てられてきました。
「言挙げしない」とは、 「あえて明確に言葉にしない、表現しない」ということ。
別な言い方をすれば、自分を主張しないで、我慢・辛抱すること。
まだまだ、日本人のその遺伝子は活きています。
よって、多くを語る人よりも、黙ってコツコツと仕事をする人が歓迎される場合も多いのです。
家庭でも、なんやかんやいうのではなく、黙々と勉強に勤しむ子どもが「良い子」の範疇に入ります。
お父さんも大変で、40歳以降になるとトリレンマ世代とも言われ、
・両親(義両親)の病気と介護
・自分の将来
・子どもの教育費
等に苛まれる世代。
以上、ざっくりでしたが、このような視座に立つと、ある意味、今は端境期なのかも知れません。
というのも、人生100年時代の生き方は、過去にもモデルがないからです。
たとえば
昭和25年(1950年)の平均寿命は男性58.00歳、女性、61.50歳。65歳以上の比率は4.9%。世帯当たりの人数は4.57人でした。
平成に入り、平成12年(2000年)では、平均寿命は男性、77.72歳となり、女性84.60歳。65歳以上の比率は17.3%、世帯当たりの人数は2.71人となりました。
この間、50年にです。
そして最近のデータでは
「2019年の日本人の平均寿命は女性87.45歳、男性81.41歳となり、女性は7年連続、男性が8年連続で過去最高を更新した。」 以上厚労省の発表から所収。
また別のデータによると
2019年の出生数は過去最少86万5千人強。出生率1.36と少子化の道を歩んでいます。
そして今や人生100年時代。
ある作家は、70歳にならないとその心境は語れない、80歳も同様。90歳も同様といいます。
かくして現在は、モデル無き、長寿社会。
私たちは、過去的な文化の縛り、価値観、ライフスタイルから自分自身を自在化して、振り返り、日々、前を見据えていくのがポイントではないでしょうか?
かつ、お手本となるロールモデルの人から学べる場合もあるでしょう!
最後までお読みいただきありがとうございました。