人生100年時代を幸せに生きよう! ライフコーチ&カウンセラーの徒然日記

ライフコーチ&カウンせラーの現場から人生100年の人生の生き方、生きがい、対応力、不安、悩みについて情報をお伝えします。

男と女のすれ違い

こんにちは。お元気でしょうか?

高畑吉宏です。

 

長い間、カウンセラーに携わっていて、男と女はどうしてすれ違ってしまうのか、考えて続けていたのが本テーマです。

結論から言えば、この性差による脳反応は入り口を間違えると、決してうまく発展していかないのだと思います。

 

そこで今回、脳の性差で『妻のトリセツ』、『夫のトリセツ』、『コミュニケーシ・ストレス』等の著書で有名な黒川伊保子さんの知見を頼りとして整理したいと思います。

まずはその前に右脳と左脳の働きをごく簡単に説明すると右脳はイメージ、直観、ひらめき等を司り、左脳は、理性、分析等を司っています。

 

女性脳は、この左右の脳を連携する脳梁男性脳よりも、約20%とも太くて左右の連携がいいとのこと。

これに対して、男性脳は、狩猟時代からの脳の働きで、GPSも地図もなき時代からの狩猟時代からの遺伝子により、空間認知力が高く、遠くや全体をよく見えるのに対して目の前の観察力は低い、と上記のように黒川さんは指摘されています。

 

この男女の脳の働きを理解しなくては、性差のコミュニケーションはいまくいかないようだ。

さらに女性同士の会話には、次の4パターンがあると黒川さんは言う。

  • 心は肯定―事実も肯定
  • 心は肯定―事実は否定
  • 心は否定―事実は肯定
  • 心は否定―事実も否定

女性同士の会話では、③と④は基本的に使わないと黒川さんは指摘。

 

そういえば女子会での会話の盛り上がりはすごいものがありますネ。

これに対して男性脳は、ビジネス社会では、問題解決型の思考が求められます。

私の会社が受託する新入社員の研修でも、そうですが、まずは5W1H(または6W2H)型の報告・連絡・相談を身に付けてもらいます。これにより、ビジネス・コミュニケーション力は確実に身に付けることができます。

 

ところが、5W1H的会話では、相手が職場を離れた女性である場合、家庭においてや、恋人関係等ではうまく機能しません。

 

上記の心は肯定―事実も肯定、心は肯定―事実は否定に注目してみてください。

いずれもが、心は肯定にあります。

一言でいえば、共感能力ですね。

言葉の背景には、色々な想いがあります。

たとえば、

「あなた今日は忙しかったの?」という言葉を例に取ると、     ↓

(今日は自分も疲れているので、夕食の手伝いをして欲しい)

(なんだか疲れているみたい)

(子どもの世話をして欲しい)

(テーブルの後片付けをして欲しい)

(約束の時間に遅れた訳を知りたい)

タブレットの使い方を教えて欲しい)

(私も今日は大変疲れている)等々。

 

これらを受け止めるには、上記の(  )の背後にある、メッセージを読み取る必要があります。

 

大抵の男性は事実把握として受け取り、以下のように答える(answer)するのではないでしょうか?

「特別、忙しかったわけではないよ。普段通りだったよ」と。

これは確かに、事実のやり取りとしては、これはこれで間違っている訳では決してありません。

ただし、相手の心=気持ちに応える(response)ためには、これでは不十分です。

 

相手の心=気持ちに応えるには、たとえば、

「特に忙しかった訳ではないけど、何かあったの?」

「自分は特に忙しかった訳ではないけど、君はどう?」

「定時に戻ることができたけと、何か、僕にすることある?」

と言ったように、相手の気持ちのメッセージに応えることが求められます。

 

入り口の段階でこの応えるやり取りができないと男女間のコミュニケーションは建設的に発展しないのだ思います。

 

このような男女間のコミュニケーションは、ある作家によると、有料の老人施設でも見られ、女性同士は、笑い、大声で会話は盛り上がっているが、男性はポツリプツリと独りでいると言う。

だとすれば、男性脳は、ある意味孤独脳なのかもしれませんネ。

ある実例を話すと、

いつも夫婦喧嘩で負けてばかりしていた男性がいました。

今日は勝ったと思って勝利感に満ちていた、その瞬間に妻の言葉は、

「じゃあ、別れる?」という言葉でした。

 

夫婦の時間は、このさなか増えるいっぽうです。

会話の入り口を間違うことなく、充実した日々を共有していきましょう。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

スマホの利用時間が長くありませんか?  

こんにちは。

いかがお過ごしですか?

高畑吉宏です。

 

最近、最寄り駅のホームから改札口に向かうエレベーターに乗った時の話です。

エレベーターには私とベビーカーに幼子を乗せた母子と一緒でした。

幼子は、スマホの上品質で鮮明な画面をいじくっていて、興味深くおとなしくしていました。

この時、私は、いくつかの疑問を感じたのです。

 

「三つ子の魂百まで」という言葉が頭をよぎりました。

自宅に戻って、早速、調べて見ました。

遠縁の中学生がゲーム脳になり、1日中、スマホに夢中になっていることも身近にありました。

 

すると、中高生のスマホ(line等)の約50%が2時間以上、利用しているとのことで、別の調査に拠ると、女子高校生のスマホ利用時間は7時間とのこと。

これは、とっくにスマホ依存(症)です。

はじめは塾の送迎に親子での連絡に無料のlineからスタートする場合も多いようです。

これが友達同士に発展すると、いじめや不登校に発展するといわれています。

さて話を戻すと、

「三つ子の魂百まで」という言葉が示すように、(胎教を入れるとその前から)0歳児から3歳児までは、人生の基本設計づくりの大切な基盤造りの期間なのです。

とある心理学では、これをベースに7歳頃までに自分の人生パターン(人生脚本)が方向づけられると言っています。

 

幼子にとって必要なのは、身体的な接触です。ある心理学では、このことをストロークと呼んでいます。

幼子の存在を認知する無条件的愛がプラスのストロークなのです。

この場合、幼子との母娘のやり取り、広義の交流は、言葉のやり取り、言葉がけ、表情、アイコンタクト、態度のすべてです。

極端な例かも知れませんが、子どもが泣き止んでいても、スマホをやめない母親もいるとのこと。

ある母親は電車でスマポに夢中になり、赤ちゃんが泣いていてもスマポ夢中。女子学生に注意されたとか‥‥。

 

ソニーの創業者である井深大氏も、最後の仕事として、次世代に負の遺産を遺さないように、幼児教育に取り組まれたのもこのあたりにありそうです。

 

iPhoneやアイパットの創業者である、スティーブ氏は

「私たちは、子どもたちのテクノロジーの制限をしています」と言われたそうですし、また、

マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツ氏も、自分の娘にはパソコンの利用時間を平日40分、週末でも60分間に制限したと伝えられています。

今、日常生活の中の通勤風景を見ても、アナグロ的な新聞を読む人は見かけません。

多くの通勤者は、スマポの画面を見入っています。このことは、自分の内的世界にこもっている状態です。

よって、歩きスマホは止めましょう、という標語があり故でもあります。

 

話は飛躍しますが、

今現在、スマホ生活のあり方についての指導やガイドラインはない以上、まずは自分自身のスマポ生活、家庭でのスマホ生活の見直しから始めませか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

地方と都会を結ぶきずなづくり  

 

こんにちは。髙畑吉宏です。

いかがお過ごしでしょうか。

 

私たち日本人の多くの都市生活は、手に入れるほとんどのモノは、大量生産―大量伝達―大量消費から成るため、廉価で生活できています。

大量採取―大量生産(加工)-大量伝達―大量消費―大量投棄が私たちの社会での生活実態です。

この一連の流れにおいて、今、包摂的な目標を持つ、SDGs(持続可能な開発目標)が問われてもいます。

今では新入社員の人も企業のSDGsへの取り組み姿勢で会社を選択する時代になりました。

もう一つの課題は、上記の社会の中で、過疎地域と過密都市が発生したことではないでしょうか?

 

ところで、

人口交流には、①観光人口、②移住人口、③交流人口、④関係人口等があります。

今回は、この中で、「関係人口」について触れたいと思います。「関係人口」とは、「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々のことを指します。

なぜかというと、関係人口が上記に述べた、閉塞的な壁を超える1つの方法だと気づいたからです。

 

私たちは、食べ物をとかくモノとして見直す社会に生きています。

よって幼稚園児にお魚の絵を描かせると、スルメを描く子もいるそうです。

モノにこだわれば、私たちは、スーパーを手に入れる時代に生きている

言えるでしょう。

ところが、そこには生者者の顔は全く見えません。

よって、効率性の追求は、人間疎外感をもたらすことになってしまいます。

 

そこで今回の記事を書いております。

 

生産者と消費者を結ぶ新たな創業者がいらっしゃいます。ポケットマルシェの高橋さんと食べチョコの社長さんです。

 

農産物もお魚類もお肉も、生き物ですね。当然、これらは、大自然の摂理や気候変動に大きく左右されます。

漁業者であれば、シケのため、海に出られない日もあるし、農業者であれば、天候、暴雨等で生産物に大きな影響を与えます。

と同時に、これらを食することは、生産者への感謝と植物、お魚やお肉との「命」と「命」の交換ですね。料理して頂いた方を含めて、私たちは、食前に感謝を込めて「頂きます」と言葉を唱えます。

 

上記のポケットマルシェの高橋博之さんのお話によると、

生産者と消費者が繋がることで、関係人口が豊かになると指摘されています。

生産者の喜びは、自分たちが手間・手数を掛けて育て、収穫したものを喜んで召し上がってくれている姿なのだと言います。

消費者はZOOMで実際的に消費者の姿を観ることができ、旬なものの調理法等も教えて頂けると言う。

やがて交流が深まり、第2の故郷化してきて、実際に、生産現場に訪れる人も居るそうだ。

これが「関係人口」の形成の一端です。

 

よく考えると、大都市への人口流入が始まったのは、そう昔ではありません。三代も遡れば、ほとんどの方々が、故郷があったのです。

故郷との縁が切れるのは、両親が亡くなった時、あるいは子ども世代になった時が多いのが実際でしょう。

よって都市生活者は、(第2の)故郷を持ちたいと思っている方もいらっしゃるのです。

上記のサイトでは、生産者と繫がることで、(第2の)故郷化している方も多いようです。

顔と顔の繋がっている関係(人口化)です。

生産者曰く。

「1000人の人一般に販売するのではなく、10人の人に100回、リピートされることがうれしい」のだと…。

ご興味を持たれた方は、上記サイトを一度訪れてみてください。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

日本人と霊性

んにちは。高畑吉宏です。

 

ちょっと大層なテーマです。

世界保健機関(WHO)の代替案では

WHO憲章全体の見直し作業の中で、「健康」の定義を「完全な肉体的(physical)、精神的(mental)、Spiritual及び社会的(social)福祉のDynamicな状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」と健康の定義をしています。

 

ここで一番理解されにくいのは、スピリチュアルという概念でないでしょうか?

この代替案を支持している私は、スピリチュアルということに直接的に触れることを避けてきました。

 

入口・切り出し(アプローチ)のむずかしさもその要因の1つでした。

また私の文章力のせいもありました。

 

今ではスピリチュアルという言葉は、その名を冠した書籍コーナーもあり、ハウツー的な本もたくさん並んでいます。

話をフォーカスするために、スピリチュアル=來世、あの世ではありませんが、ここでは、スピリチュアル=來世、あの世観の側面から、私たち日本人の行動からまずはデータからみてみましょう。

 

以下の数値・データはNHK放送文化研究所によるものです。

データは旧い(2008年)が、死後の世界を信じている者は38%で「信じない人」は33%で、信じる人が上回っているようだ。

 

この時点では若者のほうが、信じている傾向多いとなっています。

さらに「死後の世界」はどうかというと、2010年の朝日新聞の調査では、「あの世はある」が49%で、「ない」(43%)を同様に上回っている。

また、2008年の読売新聞の調査では

・生まれ変わってくる・・・・・・29.8%」

・別の世界に行く・・・・・・・・23.8%

・墓場にいる・・・・・・・・・・・9.9%

・消滅する・・・・・・・・・・・・17.6%

・その他・・・・・・・・・・・・・0.9%

・魂は存在しない・・・・・・・・・9.0%

・答えない・・・・・・・・・・・・9.1%

となっています。

 

上記のデータとは別に私たちの習慣行動を振り返って見ると、お盆やお正月に約8割近くお墓参りしております。

※ただし、コロナ禍の今は帰省も自粛されていますが…。

 

これはなぜでしょうか?

 

「魂は墓場にいる・・・9.9%」がわずかにも関わらず……。

一つには、「そういうものだ」と習俗化・習慣化していることが考えられます。

 

当然、地域・地方の習俗も生きている地域もあります。

また日本人の曖昧さ、良い意味では寛大性もあります。

たとえば、結婚式は(キリスト教徒でもないのに)教会で挙げて、お正月には神社へ初詣、葬祭は仏教(仏式)という人も実に多いのです。

 

このような行動様式は欧米人には理解不能と言われています。

 

とは言え、ことお墓に関しては、少子高齢化の現実にあって、新たな課題に逢着しています。

ことに大都市圏では、課題性が多く、お墓の多様化がありますし、お墓の守り手が高齢化し、お墓の整理業者は流行る昨今です。

 

地方においても同様です。

お墓の守りの担い手が同様に居なくなっている状態です。

お墓守りをしている本人の高齢化が進み、いわゆる、゛後継ぎ“が居ない状況で、なかには限界集落化してところもあります。

こうした外部諸事情をも踏まえておかなければならない時代に生きているのが私たちです。

 

自ずとスピリチュアルの世界に目を向けていかざるを得ないのではないでしょうか?

 

本稿のテーマとは少し異なるかも知れませんが、東京・大阪圏への大都市への人口集中が始まったのは、そんなに古くはありません。

 

たとえば、親子3代に遡れば、たいてい自分の故郷がある人が多いのです。

ただし、両親が大都市で暮らし、その中で育てられた子どもたちは、両親が成育下出生地のことには縁が乏しくなるのが通常です。

 

かくして故郷なき、子どもたちとなってきております。

これもさみしさに繋がります。

また実家の両親の死亡によって、帰省をしなくなっている人も多く居ます。

 

話はズレますが、

今、第一次産業の農業・漁業業者と消費者を直接つながり、結び付けるビジネスもあります。

そうすると、生産者と消費者の顔が見えて、その生産物(お魚を含む)の調理法も教えてくれるようになっていて、相互の繋がりができ、中には、生産者にとって孫のような感じになったり、実際、生産者のお宅に伺ったりしております。

 

大都市圏に住む消費者にとって、福音なのかも知れません。

 

一律的なモノとモノの販売であるスーパー・大量販売店よりも、やや高いようですが、今の状況では、これもやむを得ない状況なのです。

 

ともあれ、このような顔と顔が繋がる社会こそ、大切なことだと思っております。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

現在は生きづらい世の中なのか

こんにちは。

高畑吉宏です。

 

今回はこのテーマでシェアしたいと思います。

確かに「頑張れば報われる時代」があったように思います。象徴的に言えば、わが国が「高度経済成長期」がピークではなかったでしょうか?

 

それまでは、勤めビトは、終身雇用制、昇進、昇給、出世に浴していることができました。

当然、競争社会でもあったのですが…。

 

昭和20~30年代頃まででしょうか?

子ども達は、遊びはといえば、鬼ごっこ、メンコ、ビー玉、チャンバラ、ベーゴマ、縄跳び、あやとり、陣取り等に日暮れまで夢中になり、遊び呆けていました。

これらにより、地域での友人、仲間との関係づくりを培っていました。

 

今の時代、公園、神社、広場で遊んでいる子は見かけません。ただ、ブランコが、風にそそられて、孤独に(?)ゆらゆら揺れている寂寥感さえあります。

 

昭和時代の家族形成は、大家族も多く、家庭内で兄弟(姉妹)の喧嘩もよくしたものでしたし、おじいちゃん子、おばあちゃん子もいました。

 

こうした中で、今で言う「社会人基礎力」を自然に身に付けていたとも言えそうです。

 

今は子ども自身が「悩む力・悩み力」が低下したという識者もいます。

「悩み力」の低下です。

端的に言えば「キレたり」、「ムカつく」子どもが増えているもの事実。

 

またお父さんは、会社でのストレスを発散させる、雀荘、飲み屋、スナック、バー、カラオケ屋さん、パチンコ店等が職場付近にたくさんありました。

※往時には接待費で計上でき、これらを盛況にしました。

自分の小遣いの範囲で行くことの出来るところです。ここで負のストレスを発散し、気持ちをリセットし、家での私生活への切り替えをしたものでした。

 

今現在、コロナ禍でこのようなことも到底、出来ません。

また今の状況下では、仕事上の悩みがあっても、気軽に相談できる上司や同僚も得がたいようです。

 

このコミュニケーション不足がストレスになっている現実があります。

 

その一方では、私たち日本人には、「言挙げせず」を美徳とした文化で育てられてきました。

言挙げしない」とは、 「あえて明確に言葉にしない、表現しない」ということ。

別な言い方をすれば、自分を主張しないで、我慢・辛抱すること。

まだまだ、日本人のその遺伝子は活きています。

よって、多くを語る人よりも、黙ってコツコツと仕事をする人が歓迎される場合も多いのです。

 

家庭でも、なんやかんやいうのではなく、黙々と勉強に勤しむ子どもが「良い子」の範疇に入ります。

お父さんも大変で、40歳以降になるとトリレンマ世代とも言われ、

・両親(義両親)の病気と介護

・自分の将来

・子どもの教育費

等に苛まれる世代。

 

以上、ざっくりでしたが、このような視座に立つと、ある意味、今は端境期なのかも知れません。

というのも、人生100年時代の生き方は、過去にもモデルがないからです。

 

たとえば

昭和25年(1950年)の平均寿命は男性58.00歳、女性、61.50歳。65歳以上の比率は4.9%。世帯当たりの人数は4.57人でした。

平成に入り、平成12年(2000年)では、平均寿命は男性、77.72歳となり、女性84.60歳。65歳以上の比率は17.3%、世帯当たりの人数は2.71人となりました。

この間、50年にです。

 

そして最近のデータでは

「2019年の日本人の平均寿命は女性87.45歳、男性81.41歳となり、女性は7年連続、男性が8年連続で過去最高を更新した。」 以上厚労省の発表から所収。

 

また別のデータによると

2019年の出生数は過去最少86万5千人強。出生率1.36と少子化の道を歩んでいます。

 

そして今や人生100年時代。

ある作家は、70歳にならないとその心境は語れない、80歳も同様。90歳も同様といいます。

 

かくして現在は、モデル無き、長寿社会。

 

私たちは、過去的な文化の縛り、価値観、ライフスタイルから自分自身を自在化して、振り返り、日々、前を見据えていくのがポイントではないでしょうか?

 

かつ、お手本となるロールモデルの人から学べる場合もあるでしょう!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

さまざまなストレス症候群

 

高畑吉宏です。

いかがお過ごしでしょうか?

本日は、現代に生きる私たちと関わる可能性のあるストレス症候群についてシェアしたいと思います。

 

症候群とは、原因は不明なのにもかかわらず、いくつかの症状があらわれるもので、シンドロームとも言われています。

医学用語です。

 

多くの症候群がありますが、代表的な今、課題となっている症候群について触れたいと思います。

 

5つにまとめて、①職場関連のもの、②ハイテク社会特有なもの、③女性にみられるもの、④中高年層にみられるもの、⑤生活習慣にとして表れるもの、その他を、順を追って触れたいと思います。

 

これから述べるような特徴がみられたら、いち早くセルフケアに心がけたいですね。

 

セルフケアがメンタルケアの第一歩なのですから……。

 

〇職場関連でみられる症候群

・5月病

ひと昔は、主に新入社員を対象に用いられていましたが、今では、環境の変化でストレスが原因で起きる、進学、昇進、転居が原因とされるものですが、

正式な医学用語ではありません。

 

・サンドイッチ症候群

上司を立てれば、部下が立たず、両方立てれば、わが身が立たず、という状態です。

まさにサンドイッチ状態。中間管理職にみられるものです。慢性的な疲労感、不眠などを招きやすいと言われています。家庭内でも子ども、両親の間に起きる場合もあります。

 

燃え尽き症候群

燃え尽き症候群とは、別名、「バーンアウト症候群」と言われるものです。

一生懸命努力しても認められない、または努力した結果の後にみられる虚脱感のような状態に陥ってしまう状態。

 

職場とはまったく関係ありませんが、自分の目指す大学に合格した受験生が、陥る目標の喪失、無気力感、虚脱感をイメージしてもらえれば、分かりやすいですね。

 

社会人の場合──、

・欠勤が急に増える

・仕事にミスが増える

・仕事への意欲の喪失

・朝起れない

──等がみられます

 

サザエさん症候群

日曜日の夕刻にTVで放映されていた「さざえさん」になぞらえて名付けられた症候群です。

この時間帯になると、ビジネス・パーソンの頭は休みモードからONに入ってきます。

外国ではブルーマンディとも言われます。

憂うつになる、眠れない、身体がだるい等々として表れてきます。

この他に、「出社拒否症」、「人事異動後症候群」等もあります。

 

〇ハイテク社会にみられ症候群

・VBT症候群

現代の私たちのワーキングスタイル、ライフスタイルには、パソコン、スマートフォンが欠かせないツールになってきています。

また最近ではコロナ禍のせいで、ZOOM等の導入があります。これらの画面の表示の画面は「VDT(Visual Display Terminal)」と言われ、これらの機器を長時間使うことによって起こるものです。

目の疲れ、首や肩こりなど肉体的な症状だけでなく、イライラや不安、抑うつ状態になるなど、精神的な面にも影響を及ぼすこともある代表的な現代病の1つです。

電車の中でも、今は新聞を買ったり読んだりしている通勤者は、ほとんどいません。多くの人は、スマートフォンを見ています。

 

・テクノ依存症

この言葉が示す通り、コンピュータ・テクノロジーに依存し過ぎてしまった状態です。パソコン、スマートフォンをよく見なければ落ち着かない人は要注意でしょう。

コンピュータヘの過剰適応により、論理的回路による思考しかできなくなり、感情表現を喪失したり、多様で複雑な人間関係を回避するようになりで、落ち込んだり種々の身体症状を呈するようになります。

これに関したものに、「テクノ不安症」、「コミュニケーション・ストレス症候群」等があります。

 

お互い陥りやすいモノばかりですね。

ライフスタイルを見直してみましょう!

 

〇女性に見られる症候群

・結婚後後悔症候群

結婚後後悔症候群は必ず女性とは言えないかも知れません。

ですが、女性に多いのも事実です。

周りの人たちがほとんど結婚し、やがて自分も結婚したくなり、結婚生活に入ります。

ところが、独身の時代が自由でよかった、ちやほやされた、パートナーが思っていたほど、信頼できない‥‥、と後悔してしまうことです。

また同世代の未婚の仲間が仕事に活き活きと輝いている人たちを目にしてつい自分と比較してしまったりします。

 

・台所症候群

 台所症候群は、夫婦の不和、孤独感などが原因で無気力状態に陥ることを言います。いわば、

台所は、主婦の職場でもありますよネ。

主婦の“職場”の象徴である台所で家事をしたくない気持が強くなり、家事が手につかなくなってしまうのです。

 

考えてみると、三度三度の食事のメニューを考えるだけでも大変なのですね。

 

・空の巣症候群

空の巣症候群とは、子どもが独立した際、親が一時的に陥ってしまう症状のことをいいます。40代後半から50代の女性に多くみられる症状です。

子どもが手から離れて、やっと自分の時間ができる! そう喜んだの、もつかの間、なぜか毎日やる気が出なくて、体も重い……

これまで多くの時間を費やしてきた子育てが終わり、やがて親としての役割が終了してしまい、新たな人生の目的や生きがいを見出せずに虚無感を感じてしまうのです。

空の巣症候群により体に起きてくる不調としては、肩こり、頭痛、体の冷え、食欲不振、慢性的な疲労感などがあります。また精神面では、抑うつ状態、不安、焦り、イライラ、孤独感等々

更年期障害とも相まって、よりその症状が増幅させられる可能性もあります。

これに似た症候群には、「主婦神経症」、「専業主婦症候群」等々があります。

 

・ミドルエイジ症候群

ミドルすなわち中年ですが、よく「中高年者」と一括りでまとめられました。この言葉を聞くとき、どこまでが中年者でどこから高年者なのか??と疑問に思っていました。

現在のところ35歳を超え、36歳から45歳まで位をミドル層といっていいのではないかと思っています。

この年代になると、これまで培ってきた「アイデンティティ」が揺らぎ、同期との出世コースから破れたりもします。先も見え、下り坂が先々に見えてきたりもします。思秋期とも呼ばれたりもします。

 

・主人在宅ストレス症候群

主人在宅ストレス症候群は、ミドル層に限っているわけではなく、中高年や定年後の家庭でもみられます。

主人のほうはこれといった趣味もなく、暇を持て余している状態。三度の食事のメニューを聞いたり、介入したりする夫。

以前(1986年)、「亭主元気で留守がよい」が新語・流行語大賞を受けたことがありました。親父力、世帯主のイメージが崩れ去る言葉であると思ったものです。

 

・生活習慣に見られる症候群 

ここでは「睡眠障害」を取り上げてみます。睡眠障害には眠りに入れない「入眠障害」と途中目が覚める「中途覚醒」と早朝早く目が覚める「早朝覚醒」とがあります。多くは、「入眠障害」でさいなまれていらっしゃいます。5人に1人は睡眠障害を抱えており、国民病とも言われています。私自身は、眠りに入って、30分には熟眠できるかを一つの判断基準にしています。実際に参加者に問うて見ると、30分には入眠状態には入れるという方が、いつも多かったです。午前3時には目が覚めるという「午前3時症候群」の方も多いようです。

 

生きづらい現代なのかも知れませんが、まずはセルフケアに努めましょう!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

さまざまのストレス症候群

高畑吉宏です。

いかがお過ごしですか?

本日は、現代に生きる私たちと関わる可能性のあるストレス症候群についてシェアしたいと思います。

 

1.ストレス症候群とは

症候群とは、原因は不明なのにもかかわらず、いくつかの症状があらわれるもので、シンドロームとも言われています。医学用語です。

 

多くの症候群がありますが、代表的な今、課題となっている症候群について触れたいと思います。

 

 2.ストレス症候群の種類

5つにまとめて、①職場関連のもの、②ハイテク社会特有なもの、③女性にみられるもの、④中高年層にみられるもの、⑤生活習慣にとして表れるもの、その他を、順を追って触れたいと思います。

 

これから述べるような特徴がみられたら、いち早くセルフケアに心がけたいですね。

 

セルフケアが心身のケアの第一歩なのですから……。

 

〇職場関連でみられる症候群

・5月病

ひと昔は、主に新入社員を対象に用いられていましたが、今では、環境の変化でストレスが原因で起きる、進学、昇進、転居が原因とされるものですが、

正式な医学用語ではありません。

 

・サンドイッチ症候群

上司を立てれば、部下が立たず、両方立てれば、わが身が立たず、という状態です。

まさにサンドイッチ状態。中間管理職にみられるものです。慢性的な疲労感、不眠などを招きやすいと言われています。夫婦間で起きる場合もあります。

 

燃え尽き症候群

燃え尽き症候群とは、別名、「バーンアウト症候群」と言われるものです。

一生懸命努力しても認められない、または努力した結果の後にみられる虚脱感のような状態に陥ってしまう状態。

 

職場とはまったく関係ありませんが、自分の目指す大学に合格した受験生が、陥る目標の喪失、無気力感、虚脱感をイメージしてもらえれば、分かりやすいですね。

 

社会人の場合──、

・欠勤が急に増える

・仕事にミスが増える

・仕事への意欲の喪失

・朝起れない

──等がみられます

 

サザエさん症候群

日曜日の夕刻にTVで放映されていた「さざえさん」になぞらえて名付けられた症候群です。

この時間帯になると、ビジネス・パーソンの頭は休みモードからONに入ってきます。

外国ではブルーマンディとも言われます。

憂うつになる、眠れない、身体がだるい等々として表れてきます。

この他に、「出社拒否症」、「人事異動後症候群」等もあります。

 

〇ハイテク社会にみられ症候群

・VBT症候群

現代の私たちのワーキングスタイル、ライフスタイルには、パソコン、スマートフォンが欠かせないツールになってきています。

また最近ではコロナ禍のせいで、ZOOM等の導入があります。これらの画面の表示の画面は「VDT(Visual Display Terminal)」と言われ、これらの機器を長時間使うことによって起こるものです。

目の疲れ、首や肩こりなど肉体的な症状だけでなく、イライラや不安、抑うつ状態になるなど、精神的な面にも影響を及ぼすこともある代表的な現代病の1つです。

電車の中でも、今は新聞を買ったり読んだりしている通勤者は、ほとんどいません。多くの人は、スマートフォンを見ていますね。

 

・テクノ依存症

この言葉が示す通り、コンピュータ・テクノロジーに依存し過ぎてしまった状態です。パソコン、スマートフォンをよく見なければ落ち着かない人は要注意でしょう。

コンピュータヘの過剰適応により、論理的回路による思考しかできなくなり、感情表現を喪失したり、多様で複雑な人間関係を回避するようになりで、落ち込んだり種々の身体症状を呈するようになります。

これに関したものに、「テクノ不安症」、「コミュニケーション・ストレス症候群」があります。

 

お互い陥りやすいモノばかりですね。

ライフスタイルを見直してみましょう!

 

〇女性に見られる症候群

・結婚後後悔症候群

結婚後後悔症候群は必ず女性とは言えないかも知れません。

ですが、女性に多いのも事実です。

周りの人たちがほとんど結婚し、やがて自分も結婚したくなり、結婚生活に入ります。

ところが、独身の時代が自由でよかった、ちやほやされた。パートナーが思っていたほど、信頼できない‥‥、と後悔してしまうことです。

また同世代の未婚の仲間が仕事に活き活きと輝いている人たちを目にしてつい自分と比較してしまったりします。

 

・台所症候群

 台所症候群は、夫婦の不和、孤独感などが原因で無気力状態に陥ることを言います。いわば、

台所は、主婦の職場でもありますよネ。

主婦の“職場”の象徴である台所で家事をしたくない気持が強くなり、家事が手につかなくなってしまうのです。

 

考えてみると、三度三度の食事のメニューを考えるだけでも大変なのですね。

 

・空の巣症候群

空の巣症候群とは、子どもが独立した際、親が一時的に陥ってしまう症状のことをいいます。40代後半から50代の女性に多くみられる症状です。

子どもが手から離れて、やっと自分の時間ができる! そう喜んだの、もつかの間、なぜか毎日やる気が出なくて、体も重い……

これまで多くの時間を費やしてきた子育てが終わり、やがて親としての役割が終了してしまい、新たな人生の目的や生きがいを見出せずに虚無感を感じてしまうのです。

空の巣症候群により体に起きてくる不調としては、肩こり、頭痛、体の冷え、食欲不振、慢性的な疲労感などがあります。また精神面では、抑うつ状態、不安、焦り、イライラ、孤独感等々

更年期障害とも相まって、よりその症状が増幅させられる可能性もあります。

これに似た症候群には、「主婦神経症」、「専業主婦症候群」等々があります

 

・ミドルエイジ症候群

ミドルすなわち中年ですが、よく「中高年者」と一括りでまとめられました。この言葉を聞くとき、どこまでが中年者でどこから高年者なのか??と疑問に思っていました。

現在のところ35歳を超え、36歳から45歳まで位をミドル層といっていいのではないかと思っています。

この年代になると、これまで培ってきた「アイデンティティ」が揺らぎ、同期との出世コースから破れたりもします。先も見え、下り坂が先々に見えてきたりもします。思秋期とも呼ばれたりもします。

 

・主人在宅ストレス症候群

主人在宅ストレス症候群は、ミドル層に限っているわけではなく、中高年や定年後の家庭でもみられます。

主人のほうはこれといった趣味もなく、暇を持て余している状態。三度の食事のメニューを聞いたり、介入したりする夫。

以前(1986年)、「亭主元気で留守がよい」が新語・流行語大賞を受けたことがありました。親父力、世帯主のイメージが崩れ去る言葉であると思ったものです。

 

・生活習慣に見られる症候群 

ここでは「睡眠障害」を取り上げてみます。睡眠障害には眠りに入れない「入眠障害」と途中目が覚める「中途覚醒」と早朝早く目が覚める「早朝覚醒」とがあります。

多くは、「入眠障害」でさいなまれていらっしゃいます。5人に1人は睡眠障害を抱えており、国民病とも言われています。

私自身は、眠りに入って、30分には熟眠できるかを一つの判断基準にしています。実際に参加者に問うて見ると、30分には入眠状態には入れるという方が、いつも多かったです。午前3時には目が覚めるという「午前3時症候群」の方も多いようです。

 

生きづらい現代なのかも知れませんが、まずはセルフケアに努めましょう!

最後までお読みいただきありがとうございました。

内気で自己表現が上手くできないと思っている方へ  

こんにちは。

髙畑吉宏です。

いかがお過ごしでしょうか?

今回は以下がテーマです。

 

 

1.内気で自己表現が上手くないと思っている方へ

 

 かつて私の先輩のカウンセラーがいらっしゃいました。

その方は、四ツ谷駅の近くで事務所を開いていらっしゃいました。

著著にも「内気な人の話し方」といったタイトルがよくありました。

とても内気な人でした。

だが友人はたくさんいらっしゃいました。

その先生曰く。

「自分は人の抱えている悩みがよく知ることができる。これを天職としよう」と。

奥様はピアノ教師で、彼を支えていらっしゃいました。

先生から学んだことも多々ありました。

 

職場や家庭で自己表現が下手だと思っている方は、不満感、不全感に苛まれていらっしゃることでしょう。

 

実は、自己表現に長けている方は、自分自身が、ストレッサー(=ストレスを与える人)になっていることには、存外、気づいていないケースが多いのです。

能弁家型である場合が多いケースです。

 

 

ゆえにその相手の人(部下や妻(夫))は、その分、ストレスを感じてしまいます。

 

2.対処法 その1

 

相手が心を開くためには、相手の人(上司・妻等)が、心に余裕がなければなりません。

そのためには、少なくとも、以下のクッション言葉が欠かせません。

・「課長、今、少々のお時間を頂けますでしょうか?」

・「夕刻、16:00に帰社しますので、その後、30分    

 間、お時間をいただけますでしょうか?」

・「〇〇のこと、夕食の後、相談したいけど、大丈夫?」     

 等々

 

対処法 その2

 

まずは私メッセージ(Iメッセージ)とあなたメッセージ(Youメッセージ)とを使い分けしてみませんか?

 

たとえば、職場の場合

「○○の件、(あなたの)おっしゃることは、理解しました。ですが、(私は)今、△△の件で手一杯です。いかがいたしましょうか?」と問い返す。

内心では、ムリにいやいやながらつい引き受けてしまうのが内気な人の特徴でもあります。

 

かくして一度、上司の意見をうかがってみましょう。

 

その3.自分の立場を鮮明に伝える

 

その1つは、PREP法です。

PREP法とは以下の手順による会話法です。

Point :要点(結論・主張)→結論・自分の主張をまず先に言うこと。

Reason :理由(結論にいたった理由・そう主張する理  

 由)

Example:具体例(理由に説得力を持たせるための事例・データ・状況)

Point :要点(結論・主張)→理由と具体的例述べ、最後に結論・自分の結論と主張を述べて締めくくります。

 

もう一つは、SDS法の応用です。

・Summary(要点)

・Details(詳細)

・Summary(要点)

実はSDS法等は、私たちの日常生活ではしばしばお目にかかっている方法です。

 

たとえば、ニュース番組です。

 

ニュースでは最初にニュースの大項目が放映(=事前告知)されます。

アナウンサーは、それに従って順々に各々の詳細を伝えていきます。

 

PREP法でも、SDS法でも、どちらでも結構ですので、自分の立場や現況を理路整然と伝えるスキルの向上を図っておきましょう。

 

これを押さえておくと、

・「君は何が言いたいのかね」

・「あなたがいいいことがよく分からないわ」

といった応答にはならないはずです。こうなるとますます負の連鎖で気持ちが落ち込んで引き込んできます。

 

残る問題は、どのように主張していくかと多少の「勇気」です。

自己主張の仕方には効果的「アサーティブな表現方法」がありますが、いずれ次稿以降でお伝えできればと思っております。

こればかりは小さな成功体験を積んでいく実践努力に負うしかないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

循環型社会を目指して

こんにちは。髙畑吉宏です。

 

私たち日本人の多くは都市生活をし、楽しんでいます。

手に入れるほとんどのモノは、大量生産―大量伝達―大量消費から成るため、廉価で生活できています。

このことは、かなり以前から大衆社会学者が指摘していた事実です。

でも、私たちの生活実態を直視するためには、上記の3区分だけでは不十分です。

実態的には、

大量採取―大量生産(加工)-大量伝達―大量消費―大量投棄で成り立っているのが私たちの社会での生活実態です。

この一連の流れにおいて、今、包摂的な目標を持つ、SDGs(持続可能な開発目標)が問われてもいます。

循環型社会への見直しが問われているのです。

 

どこか変?と思える事象が起きているのも事実。

「統計を取り始めて以来、一番多いとか、早いとか……」という報道もよく耳にします。

私が生まれ育った、街は子どもの頃、冬は凍てつく寒さで裏の軒下には氷柱ができていました。

蛙の大合唱も聞こえていました。

田んぼにはレンゲ花が咲き乱れてもいました。

今は、その跡形もありません。

どこかで自然の循環が機能しなくなっています。

 

さて話を進めると

効率的で、利便性が高く、衛生的である都市型生活が、意外に脆弱な基盤であることに気づかされる時があります。

 

その体験例は、時折生じるのは、大都市圏の交通網です。

たとえば強風やわずかの積雪による電車の遅延や運転の中止。

 

もっと大きな“ 事件”では、地震の場合でした。

私は関東圏に住んでいるため、一番印象に残っているのは東日本大震災の時でした。

この時には、電車は全面的にストップ、携帯は繋がらない、駅員の情報も不正確。

そして多くの人は、徒歩で自宅に向かい、その列は朝のラッシュ時さながらの人流の模様。

かくして自宅に戻れたのは、11時30頃。徒歩時間は5時間半位。

その後も、ご記憶にある方も、いらっしゃると思いますが、計画停電を体験しました。

 

このような都市生活の利便性を維持していくためには、大量採取―大量生産(加工)-大量伝達―大量消費―大量投棄が必要です。

 

大量採取が土地の砂漠化や気候変動・温暖化をもたらしていることは指摘されますが、ここでは話をフォーカスするため、大量投棄をテーマにします。

 

ゴミは家庭ゴミと産業廃棄物に大別されますが、お陰様で、家庭ゴミは、年中、ほとんど休みなく出せるため、困ることはないです。

 

もし、ゴミが溜まったとしたら、どうでしょう?

 

そのように視野を広げると、ごみ処理の業者の方々もエッセンシャル・ワーカ―ではないでしょうか?

 

さらに言えば、循環型社会の構築に当たって、彼(女)たちは、並々ならぬ、自助努力をされているのです。

日々の安心・安全に感謝を込めて!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

会話上手になろう!

こんにちは。髙畑吉宏です。

 

私たちの普段の生活は、言葉を交わすこと(対話、会談、会話等)で成り立っていますので、自分の思いを言葉で表現することは、とても大切なことです。

 

1.会話の相互理解度は?

ところが、この広義の会話がギクシャクすることがあります。普段の会話は、各々の以下のような立場や役割から発されます。

・妻(夫)から夫(妻)へ

・上司(部下)から部下(上司)へ

・先生(生徒)から生徒(先生)へ

・親(子ども)から子ども(親)へ、等々

 

さらにこれに加えて年齢差と性別(セクシュアリティ)の要因等が加わります。

 

かつてビジネス部門の大手出版社の部長と懇意だったころ、これをテーマにしたかったのですが、よく理解されませんでした。

 

私が頭の中にあったのは、次のようなイメージです。

・研修講師が男性の年上で受講者若い女性の場合

若い女性の研修講師で受講者が年上の男性の場合

・研修講師が年上の女性で受講者が若い男性の場合

・研修講師が男性の年上で受講者が同年齢層の場合、   

 等々。

 

性差(セクシュアリティ)間のコミュニケーションについては、まだ勉強不足ですが、以下のような一般的事実だけは把握しています。

 

研修講師が年上の女性で受講者が若い男性の組み合わせの場合は、多くの場合、うまく作用するケースが多いようです。

女性の方は、見守る姿勢、育てる愛が本来備わっていて、それが一体化し、教育の場で、その情熱が発揮されるのです。

 

ここで話を転じます。

 

2.自己表現力の長けた方々

少なくとも、現代では、自己表現をしていく時代なのですが、自己表現の上手な方、頭の回転が速い人が、必ずしも、頭のいい人、思慮深い人とは限らないという事実です。

 

テレビ時代で早口で頭の回転力の良さは、というとかつての久米宏さん等辺りが頭に浮かんでくるのです。

彼(女)たちのリアクションは、素晴らしく、頭の回転の遅い私は付いていくのが精一杯!

 

専門家や人のタイプによっては、相手の言葉を,いったん内へと向かわせ、その内なる声を言葉として表現するのに、「間」を要する人たちがいます。

その意味合いから言えば、テレビ時代には不向きなのかも知れません。

 

そういえば大昔、野球の解説者で名を馳せた人が居ました。

彼の口癖は

「何と申しましょうかね。……」という切り口から始まるのが常でした。

その言葉を発している最中に、内なる声へアクセスしていくプロセスだと今は理解しています。

 

またかつての大平正芳首相は、訥弁でした。

「あぁ、うぅから始まり、訥々と答えていらっしゃったのを記憶しています。

 

「間」の取り方が上手い人ばかりが私たちの周囲に居るかというと、そうでもありません。

むしろ、少ないかも知れません。

そこで、自己表現が苦手な人は、ますますそのままで我慢をしていて、なんだか損をしている不全感に陥っている場合が多くみられます。

 

上司がその逆であれば、ますますその感情は増幅します。

 

具体的な事例をあげて説明します。

 

Yさんは、某教育機関の営業職で、講座の販売促進を担当していました。事実上の彼の上司は、同機関の経営を任せられているK女史でした。

 

K女史は、私の友人でもあり、性格もよく知っている人でした。彼女は自己表現力もあり、自説を巻きたてるタイプ。上層部の受けもよく、それゆえ、教育機関の経営を任される立場と相成りました。

 

よくよく話し込むと、思慮深さに欠け、価値の違いの異説を受容する能力は豊かでないことも存じ上げていました。

このような人は、とかく自分と相性の良い取り巻きを作りやすい傾向にもあるようです。

 

当然のごとくYさんは、その範域に入ってはいません。ところが、Yさんの話をよく聴くと、K女史が負うべき、結果責任まで、自分のタスクのように命じられておりました。

 

当然、Yさんは、ストレスを感じます。

 

立場と役割の力関係において上の立場にある人は、その言動がストレッサーになっていることを自覚しなくてはなりません。

 

と同時に私たちは、取り巻く人間関係において自分を不快感や自己否定感を抱かず、相手に対しても不快感を与えることのない自己主張の方法を身に付けなければ、この負の連鎖から脱し得ないでしょう。

 

できれば、次回は、この点にフォーカスしてお伝えしたいと存じます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

通院して感じたこ

こんにちは。髙畑吉宏です。

 

1.はじめに

 

自粛生活の中、私はアウトドア派でないため、どこかに出かけたいと強く思うほうではあいませんが、家族や自分の日々の食料の買い物ためのスーパー、そして図書館、医療施設、銀行・郵便局への出かけることは、しばしばです。

 

ことに今年に入って、歯科医に通うことがしばしばです。

 

ご存じかも知れませんが、8020運動という80歳になった時点で20本の自分の歯を維持していこうという健康増進運動があります。

 

この際、目と歯の治療は、一度は根本的にケアしておきたい、と思ったからです。

このことを意識して以来、歯医者は目下治療中。眼科と内科は定期検診を受けております。

 

その中で、気になるメッセージもあります。

 

ある医院では(ここは大変、流行っている)、その日の担当医のメッセージボードがあります。

「〇〇先生」と表記されています。

 

2.“先生”について考える。

 

一般的に、かつ社会通念上、先生というのは、身内の人を指して"先生″という呼称は、あまり広義には使用しないものです。

 

具体的に言うと、このような例があります。

ある医院は地元で長く親の代から親しまれ、娘さんも、晴れて医師となり、結婚をされました。

ご主人も医師で、同院の病院長です。

ところが、理事長は奥様です。

この院長の担当日に、お伺いすると、あまりに「理事長の〇〇先生、先生」とおっしゃるものですから??と思った次第です

 

これらのことにこだわるのは、理由があるのです。

 

広義には医療機関は、ホスピタリティ産業だからです。

私自身は、このテーマに長く取り組んできている者の一人です。

 

ホスピタリティ産業に共通して言えることは、人的対応という接点がとても大切な「瞬間」が伴うものです。

 

ホスピタリティ目線で分かりやすくいうと

医療サービスプロバイダーという流れからすれば、私たち消費者(患者)は、次の人的対応から成ります。

①予約→②受付→③待ち時間→④診断→⑤会計(※薬局で  の処方を除く)

 

消費者(患者=通院の場合)の不満、不平、満足度は、この①~⑤のすべてから発生します。

 

たとえば、以下のとおりです。

□受付の態度が良い、良くない。

□待ち時間が短い、長い。

□看護師の態度が良い、良くない。

□医師がていねいに応えてくれる。くれない。

□診察があまりに効率的で時間をかけてくれる、くれていない。

□診察が終って支払い完了までの時間がかかる、スムースである、等

 

その逆を考えると、より分かりやすいと思います。

 

受け付けの担当者のあいさつがさわやか、待ち時間が長くない、医師がていねいに応えてくれる、会計がスムース。

このような流れであれば、きっと満足度は高いハズ。

 

3.改めて“先生”とは?

 

先生の1つの典型的な例は学校の教師でしょう。先生―生徒の関係です。

そして、塾の先生、習い事の先生、大学での先生等。

しかし、作家や文豪家は師匠―弟子の関係でない限り、社会通念上、先生とは言いません。

 

大学の教授も、「〇〇さん」と親しみを込めて紹介される現在です。

 

これらにより、「先生」と敢えて、他者、広義の消費者(患者)に先生と告知するのは、いかがなものでしょうか?

 

確かに、私の通うある医院は、確実に流行っていますし、設備も大学病院並みです。

ただし、それは、この病院の経営マネジメント(宣伝)活動の効果性でもあります。

 

反対に医師の中にも、心から先生と呼びたくなる医師もいらっしゃいます。

先生とは、本人が自然と先生と呼びたくなる人だけが、真の先生ではないでしょうか?

 

 

 

通院で感じたこと

こんにちは。髙畑吉宏です。

 

1.慣れてきたウィズコロナの生活の中で考えてみたこと

 

私はアウトドア派でないため、どこかに出かけたいと強く思うほうではあいません。が、家族や自分の日々の食料の買い物ためのスーパー、そして図書館、医療施設、銀行・郵便局への出かけることは、しばしばです。

 

ことに今年に入って、歯科医に通うことがしばしばです。ご存じかも知れませんが、8020運動という80歳になった時点で20本の自分の歯を維持していこうという健康増進運動があります。

 

この際、目と歯の治療は、一度は根本的にケアしておきたい、と思ったからです。

 

このことを意識して以来、歯医者は目下治療中。眼科と内科は定期検診を受けております。

 

その中で、気になるメッセージがあります。

ある医院では(ここは大変、流行っている)、本日の担当医のメッセージボードがあります。

ご経歴と共に「〇〇先生」と表記されています。

 

2.“先生”について考える

 

一般的に、かつ社会通念上、先生というのは、身内の人を指して"先生″という呼称は、あまり広義には使用しないものです。

 

具体的に言うと、このような例があります。

ある医院は地元で長く親の代から親しまれ、娘さんも、晴れて医師となり、結婚をされました。

ご主人も医師で、同院の病院長です。

ところが、理事長は奥様です。

 

この院長の担当日に、お伺いすると、あまりに「理事長の〇〇先生、先生」とおっしゃるものですから??と思った次第です

 

これらのことにこだわるのは、理由があるのです。

 

後ほど述べますが、広義には医療機関は、ホスピタリティ産業だからです。

 

私自身は、このテーマに長く取り組んできている者の一人です。

 

ホスピタリティ産業に共通して言えることは、人的対応という接点がとても大切な「瞬間」が伴うものです。

 

ホスピタリティ目線で分かりやすくいうと

医療サービスプロバイダーという流れからすれば、私たち消費者(患者)は、次の人的対応から成ります。

  • 予約→②受付→③待ち時間→④診断→⑤会計(※薬局での処方を除く)

 

消費者(患者=通院の場合)の不満、不平、満足度は、この①~⑤のすべてから発生します。

 

たとえば、以下のとおりです。

□受付の態度が良い、良くない。

□待ち時間が短い、長い。

□看護師の態度が良い、良くない。

□医師がていねいに応えてくれる。くれない。

□診察があまりに効率的で時間をかけてくれる、くれていない。

□診察が終って支払い完了までの時間がかかる、スムースである、等

 

その逆を考えると、より分かりやすいと思います。

 

受け付けの担当者のあいさつがさわやか、待ち時間が長くない、医師がていねいに応えてくれる、会計がスムース。

このような流れであれば、きっと満足度は高いハズ。

 

3.改めて“先生”とは?

 

先生の1つの典型的な例は学校の教師でしょう。先生―生徒の関係です。

塾の先生、習い事の先生、大学での先生等も同様。

しかし、作家や文豪家は師匠―弟子の関係でない限り、社会通念上、先生とは言いません。

 

大学の教授も、「〇〇さん」と親しみを込めて紹介される現在です。

 

これらにより、「先生」と敢えて、他者、広義の消費者(患者)に先生と告知するのは、いかがなものでしょうか?

 

確かに、私の通うある医院は、確実に流行っていますし、設備も大学病院並みです。

ただし、それは、この病院の経営マネジメント(宣伝)活動の効果性でもあります。広告活動はとても盛んです。

 

事実、医師の中にも、心から先生と呼びたくなる医師もいらっしゃいます。

先生とは、本人が自然と先生と呼びたくなる人だけが、真の先生ではないでしょうか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

中年期の不安とは

こんにちは。髙畑吉宏です。

 

心に空虚感が漂い、生きる目的について悩む時期が大きく分けて3回あると言います。

その1つは青春期、2つ目は中年期、3つ目は人生の最期の時といわれています。

 

では最初の青春期から

 

〇青春期の不安

思春期の悩みは、進学、進路に始まり、友人関係等について多いに悩むものです。

 

後々から振り返って「こうすれば良かった」、「あれは間違っていた」と、とかく後悔するもの、それが青春である、という人もいます。

 

青春期を迎えると、自分の進路、教師との関係、友人とのトラブル等、両親には相談できないことが多発し、一人で悶々として悩むものです。

 

私の場合も、高校では寮生活で両親にはとても言えないことで苦しんだものでした。

大学進学後もそれは続きました。

 

この多情多感な青春期をどう過ごすのか─。

このような青春生活の心の葛藤は、その後の自己成長の肥やしとなっていくもののようです。

 

さて。ここからが本題。

 

〇中年期の不安と悩み

 

中年の年齢層の定義は、分野によって異なりますが、ここでは45歳以降が大体の目安です。

 

思秋期ともいわれ、子どもさんが居たら、子ともさんは青春期です。

中年期になると、青春時代に目標としてきたことの自己実現は、ある程度充足している時期。

・第一志望ではなかったかもしれないが、「そこそこ」の 

 大学にも進めた。

・志望した企業にも入れた。

・プロポーズして結婚もした。

・ローンは残ってしても、家も手に入れた。

・はたから見ても、それなりの家庭生活を維持してい……  

 等々。

 

ところが、この「そこそこ」に疑問や不安を抱き、むなしさを感じ、や空虚感に陥る人が多くみられます。

 

カウンセリングに訪れるクライアントさんには、社会的地位、年収、家族の属性からみると、なんでこの人??…、と思える人がかえって多いのです。

 

ここに中年危機(ミドル・クライシス)の意味が込められている、といっていいでしょう。

・「確かに自分は、自己実現のために多くのものを犠牲に  

 したり、避けきて今の自分を創り上げてきた」

・「ソリの合わない上司にも耐えて従ってもきた」

・「いやな満員電車にも乗り続けてきた」

・「その割には給与・ボーナスも少ない」

・「パートナー(夫・妻)からの評価が手厳しい」

・「子供と腹を割って話すことがない」

・「女の子はなつかない、気難しい」

・「その割には家庭での自分の立場や居場所はあまりな  

 い」

 

今までの自分の人生は、いったい何だったのだろう?

という人生の意味を問う不安に苛まれるのです。

 

「そういえば人生100年時代というけれど、その半分に値する年齢になってきた」

自己実現への道は、循環で、楯の道のほうは、それなりに100点満点ではないが、合格点は出してきた。

 

それは、パーソナルな領域。

 

欲求五段階説を唱えたマズローという心理学者が、最後の「自己実現」に加えて、さらにトランスパーソナル(自己超越)の実現を提案した概念です。

 

このように中年期の不安、悩みは”人生の意味“を問う課題として表面化します。

 

またそれゆえ、深刻といえるでしょう。

 

シニアの老活も、これに応えることが第一義であって、楯(循環の楯)への旅支度の心のセットといえるでしょう。

 

これらに関して安易な回答はありません。

 

多くの作家や研究者も、これらの課題に直面してきています。

 

ただ言えることは、「これは自分だけ?」と思わないで欲しいのです。

できれば、こうした心の内奥を打ち分けられる人がいれば、随分、安らぐのも事実。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

コロナ禍の出来事を省察する

こんにちは。髙畑吉宏です。

 

1.コロナ禍の私たちの自粛生活を考えてみる

 

ウィズコロナの生活を強いられ、私たちの生活の行動域と選択肢は、確実に狭まってきています。

 

新種変異株によって感染領域は、九州圏(福岡)や中部圏(愛知)、東京圏、札幌等を中心としてその感染圏が広がっています。

そしてこの原稿を仕上げている時点で、広島県岡山県等の「緊急事態宣言」がすでに発令されました。

 

このような中、国会での与野党のやり取りを観て、「??」と思う方は、多いはずです。

答弁者の立場からすれば、うっかりとしたことは言えないことは分からないでもありません。言わない、言えないという立場が……。

 

その一方で、為政者や行政の方々には説明責任の結果責任を負っています。

 

ビジネスの基本の基本でもありますが、以下の6W2Hが欠けると、話を逐次確認しなくては会話が成り立ちません。

  • When(いつから、いつまで)
  • Where(どこで)
  • Who(だれが)
  • Whom(だれに、誰を対象にして)
  • What(なにを)
  • Why(なぜ)
  • How(どうやって)
  • いくらで(How much)

 

これを一言で具体化するには、まずは数値化することです。

企業で企画書を作成した経験のある人は、これらを必ず意識していたことでしょう。

 

ところが、国会の答弁では、

「適宜、適切に対応して参ります」とか

「先手、先手で対応していく所存です」というような答弁になっていることがあまりに多いことに気づきます。

 

これでは、先の6W2Hに照らしてみると。意味不明、言語不明瞭な答弁です。

事前に質問内容を明示しておいた、質問者も、「??」という印象を受けているようです。

 

2.平和の祭典、オリンピック・パラリンピックの開催  

 は?

 

コロナのパンデミックが終息しない中、つい先ごろまでは、聖火ランナーの放映がされ、その一方では、ランナーの辞退者も相次続き出ました。

「平和の祭典」というところが、肝かも知れません。

平和とは単に戦争がない状態ではないでしょう。

 

オリ・パラにボランティア参加を希望している方々も、具体的な手順書が未だ届いてもいない状態のようです。

 

大多数の国民は、よく理解しているようです。

 

そして、このような最中、オリ・パラの開催の延期・中止の声が多数者ですね。

ここに以下の二律背反的なメッセージが届けられています。

一方では、不要不急の外出は避けて!

その一方では、再来月には大イベントを行うということ。

 

3.ノーブレスオブリージュ

 

ノブレスオブリージュ」といわれるフランスの有名な道徳観があります。

身分の高い者はそれに応じて果たさねばならない社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観で、元はフランスのことわざで、貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならない」の意。

 

この言葉を打ち消してしまう行動が政治家、高級官僚、専門家が見られます。

そして一部の自治体の行政の組長等の「先駆け・抜け駆けワクチンの接種」が報じられ、後味の悪い思いをさせられてもいます。

 

4.まとめ

 

一昔、演技力豊かな庶民目線を想起させる市原悦子さん主演の「家政婦は見た」がロングシリーズ化しました。

そう、私たちは、いつも観、聴いているのです。

 

目力があり、自分の言葉で語り掛ける指導者の言葉を期待してやみません。

 

ノーブレスオブリージュの姿勢は、改めて上に立つ者、上司たる者、今、実践して欲しい道徳哲学ではないでしょうか。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

コロナ禍で考えたこと

こんにちは。髙畑吉宏です。

本日は前の続編としてまとめています。

 

1.コロナ禍の中で考えてしまったこと

 

コロナ禍で国は「私たち国民の生命と暮らしを守る」といいます。

このコロナ禍で、雇止め、派遣切り、リストラ、事業不振・倒産、失業、不安・ストレスの増幅に苛まれている人たちが確実に増えてきています。

「行くも地獄、去るも地獄」で呻吟されている方もいらっしゃいます。

 

これを、わが国の日本国憲法第25条の「 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」の観点から具体的に考えてみたいと思います。

 

むずかしく考えないでくださいね。

 

常々、思うのですが、「健康で文化的な最低限度の生活とは?」がしばしば気になるのです。

ただの最低限度ではなく、文化的という形容詞が加わっています。

 

今のリタイア後の年金生活者の実態からみれば、確実に2極化が進んでいます。

歴史を遡れば、国民皆年金制度に端を発していることがみえてきます。

当時は「国家100年の計画」として定められ、諸外国からも評価されました。

また当時は、人生60年時代で、勤めビトの定年も60歳までであり、その後は余生と位置付けられていました。

 

第1産業に従事していた方も多く、農林・漁業、加えて個人商店主は、国民年金に加入し、その仕組みは、今も続いています。

 

この人たちが受け取ることのできる年金額は、ざっくりとして言えば、せいぜい6万円台弱程度です(「国民年金基金加入者を除く」)。

しかも、今現在、国民年金を支える現役側の加入者は、50%に満たないのです。

 

これで、将来はどうなるのか、不安になったり、気になったりするのは私だけでないと思うのです。

 

事実、私の知人・友人で、元個人事業主で、夫婦合わせて約11万円台で生活している人が居るのです。

 

では、実際のところ、生活を切り詰め、文化的最低限度の月々の生活費は、果たしていくらなの?

─と思われる人が少なからず、いらっしゃるでしょう。

 

結論を急がせないでくださいね。

 

プロセスも大事ですから……。

 

上記の先輩とも、よく相談でお話するテーマでもあります。

 

その前に、2極化のエリート(?)年金生活者は、主人も、奥様も共稼ぎで、企業・団体(=共済組合、公務員)で、コツコツと働き、定年を迎えたような方々です。

このような方々の年金額は、およそ50万円前後の計算になります。

 

すでにお分かりのように、国民年金だけの支給額とは大差です。

 

さて話を戻します。

 

私のカウセリング相談事例(といっても、ファイナンシャルなことは専門外です)から言えば、

まずは最低限度の生活+文化的生活

の図式から言えば、生活権の確保+αとなります。

この+αの部分が文化的生活の部分です

 

このαに、趣味、読書、ライフワーク、サークル活動、社会活動、仲間との交流といったものを加味しなくては、文化性が生まれません。

 

 分かりやすくして話を進めます。

 

これらを保つためには、最低でも月々、13万円(個人差、個人の属性の一切を除いた一般論で、恐縮…)は、最低でも必要ではないでしょうか?

 

そのために国は生活保護手当等をセーフティーネットとして制度を用意してはいますが、私たちにとって、使い勝手が良いとはお世辞にも言えません。

 

2.コロナ禍であっても生活の質を落とせないで居る人の例

 

この方をYさんと呼ぶことにします。

Yさんは、今、地方移住して生活されています。

街にコンビニの1つもない、とある関西の過疎の小さな村です。

 

チャリンコで10分間圏内にコンビニの7,8件は存在するわが家とは大変な違い。

 

夜は街灯もなく、真っ暗闇になり、昼間は小鳥のさえずりが聞こえてくる自然がとても豊かな環境です。

コロナ禍の生活は、以前とさほど変わりがないと言っていました。

 

そして彼の家族は、農業に従事しています。

日々の食費は、あまりかからない、とのこと。

その理由は、誰かが、そっと取れたての野菜を置いてくれるらしい。

 

今、私の住んでいる、埼玉都民(?)とは大違い。

 

つながりのあるコミュニティを求めて地方移住すればいいのかというとそうでもないのです。

 

私も、かつて瀬戸内海のとある島に「移住体験」を1週間したこともありました。

その島のある市は「移住促進」の制度がありました。

 

さて話を戻しますと、

 

過疎地域には、過疎地としての課題を抱えていて、限界集落化していて、家々が孤立化しているのです。

その現実はよく把握しているつもりです。

 

どうやら、つながりのある地域と、そうでない地域に分かれるようです。

 

3.つながりを求めて

 

これから文化的要素を加えると、生きる上で“つながり”は欠かせません。

 

社会制度的にみると、ハード面では、セーフティネットが構築されてはいるにしても、どこに相談したらよいかわからないのも現実。

たとえば、行政機関へ家庭内暴力、いじめ、生活支援の相談に行く場合に、一人では立ち向かえないケースが多々あります。

 

そこで寄り添ってくれるのが、NPO法人を始めとする各種相談機関なのです。

たとえば、一夜の駆け込みの宿が欲しい場合、それらの法人がケアしてくださることがあります。

 

そこで私は、考えてみました。

いったい、誰がそれらの経費を支払っているのだろうか?と。

それら法人の代表者のポケットマネーではありません。

すべて寄付行為のようです。

 

このように私たちは、どこかで、誰かとつながり、助けられてもいるのです。

 

少し、ホッとしませんか?

 

それらには各種ありますけれど、以下の「自殺対策等」で活動されている清水さんの活動も、その一つです。

https://www.lifelink.or.jp/index.html

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。