循環型社会を目指して
こんにちは。髙畑吉宏です。
私たち日本人の多くは都市生活をし、楽しんでいます。
手に入れるほとんどのモノは、大量生産―大量伝達―大量消費から成るため、廉価で生活できています。
このことは、かなり以前から大衆社会学者が指摘していた事実です。
でも、私たちの生活実態を直視するためには、上記の3区分だけでは不十分です。
実態的には、
大量採取―大量生産(加工)-大量伝達―大量消費―大量投棄で成り立っているのが私たちの社会での生活実態です。
この一連の流れにおいて、今、包摂的な目標を持つ、SDGs(持続可能な開発目標)が問われてもいます。
循環型社会への見直しが問われているのです。
どこか変?と思える事象が起きているのも事実。
「統計を取り始めて以来、一番多いとか、早いとか……」という報道もよく耳にします。
私が生まれ育った、街は子どもの頃、冬は凍てつく寒さで裏の軒下には氷柱ができていました。
蛙の大合唱も聞こえていました。
田んぼにはレンゲ花が咲き乱れてもいました。
今は、その跡形もありません。
どこかで自然の循環が機能しなくなっています。
さて話を進めると
効率的で、利便性が高く、衛生的である都市型生活が、意外に脆弱な基盤であることに気づかされる時があります。
その体験例は、時折生じるのは、大都市圏の交通網です。
たとえば強風やわずかの積雪による電車の遅延や運転の中止。
もっと大きな“ 事件”では、地震の場合でした。
私は関東圏に住んでいるため、一番印象に残っているのは東日本大震災の時でした。
この時には、電車は全面的にストップ、携帯は繋がらない、駅員の情報も不正確。
そして多くの人は、徒歩で自宅に向かい、その列は朝のラッシュ時さながらの人流の模様。
かくして自宅に戻れたのは、11時30頃。徒歩時間は5時間半位。
その後も、ご記憶にある方も、いらっしゃると思いますが、計画停電を体験しました。
このような都市生活の利便性を維持していくためには、大量採取―大量生産(加工)-大量伝達―大量消費―大量投棄が必要です。
大量採取が土地の砂漠化や気候変動・温暖化をもたらしていることは指摘されますが、ここでは話をフォーカスするため、大量投棄をテーマにします。
ゴミは家庭ゴミと産業廃棄物に大別されますが、お陰様で、家庭ゴミは、年中、ほとんど休みなく出せるため、困ることはないです。
もし、ゴミが溜まったとしたら、どうでしょう?
そのように視野を広げると、ごみ処理の業者の方々もエッセンシャル・ワーカ―ではないでしょうか?
さらに言えば、循環型社会の構築に当たって、彼(女)たちは、並々ならぬ、自助努力をされているのです。
日々の安心・安全に感謝を込めて!
最後までお読みいただきありがとうございました。