昨今の巣ごもり生活
こんにちは。髙畑吉宏です。
しばらくブロブの更新を怠っており、恐縮です。
これでも、あれやこれやで結構、忙しい日々を過ごしています。
さて今回は、今現在進行形中の巣ごもり生活の私の現状報告をシェアしたいと思います。
1.地元での現状から
本年の4月度から地域の班長(来年の3月度まで)となりました。
班長と言っても9年間に一度まわってくる仕組みです。※選ばれたわけではありません。
この任務(?)は、自助・共助・公助のうちの「共助」となります。
その”任務″といえば、以下の4点です。
- 回覧板の発信元
- 役員会の出席(月1回)
- 自治会費の徴収と納金(年に2回)
- 集会所の清掃(6月度に2回)
恐らく他の都市圏の都市部も同様な実態だと思うのですが、地域での共助はといえば、上記の4つ以外に機能していないのでは……。
上記に共通していることは、アナログティックな作業が伴う点です。
結論からいえば、この4つを除いて、地域での共助は無くなっているとう悲しい現実。
近所のお付き合いはなく、まして
子供会やお祭り、防犯パトロール隊も今や存在しておりません。
第一、私の班には、子どもも見当たらず、うち2世帯は鍵で占められたまま長期不在の状態。※病気療養中。
ほとんどが高齢者で夫婦2人での年金生活者の家族構成。
お寺や神社で遊ぶ子供は、かなり以前から、その姿を消したようです。
今はブランコがわびしく風にゆれています。
神社の数は、コンビによりも多いと言われておりましたが、ここ数年間で激減してきています(文化庁調べ)。
おおげさに言えば、今の日本の人口構成の実態を縮小化したのが、我が家の地域の現状なのです。
さて本題に入ります。
2.コロナ禍の自粛生活
私たち日本人は、ウィズコロナの自粛生活の生活に慣れてはきました。
改めて考えてみると
「自粛」とは、自ら進んで行いや態度を改めること、とされています。
すなわち、自発的かつ積極的に行動を選択するのが、本来の意味なのでしょう。
他の選択肢がない場合、それに従わないと、心理的プレッシャーになります。
ことに高齢者や、基礎疾患を有する方々に取っては、本来の意味での「じしゅく生活]なのでしょうか?
私は、「じしゅく生活」でなく「いしゅく(萎縮)生活」なのでないのではないかと思うこと、しばしばです。
上記のように言葉を額面通り受けとめて「自粛」しているならば、そうそうイヤになったり、マナーを破って敢えて外出したり、路上飲みはしないでしょう。
いつからともなく、「巣ごもり生活」とも呼ばれるようになりました。
あまり観ることのない、テレビでも「巣ごもり生活用品」の需要が高まってきていると放映していました。
「巣ごもり」とは、広辞苑によると「すき間なく回りをかこまれている中に入って外に出ない」という意味であるらしい。
よって巣ごもりしていくわけですから、巣(=家)に必要なのは、肌に接するような抱擁感だそうです。
「家」を表す英語に「ハウス」と「ホーム」がありますネ。
この2つの英単語は、ニュアンスが異なります。「ハウス」といえば、物理的な「家」のこと。
だから家をつくる業者をハウスメーカーという訳です。
その新居〈モノ)に入るのは家族です。
そういえば「ステイハウス」とは言わず、「ステイホーム」と言われます。
ホーム=家庭のニュアンスで言われている標語となっているのです。
お家があっても、居場所がなければ、ネットカフェに泊まったりして暮らさなければなりませんし、お家に、文字通り巣のように安心して、くつろげるあたたかさ、抱擁感が得られなければ、ハウス化しているといえるでしょう。
家族の家庭機能不全に陥っている状態と言えるでしょう。
次稿以降では、これらについてできるだけ具体的に考えてみたいと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。